―――銀世界。
暗い曇天の下、大きな獣たちが雪上を走る。
―――アレは、狼だ。狼の、群れだ。
何かに追い立てられている。
猟犬だろうか。雪煙を巻き上げて、群れで狼たちに相対している。
図鑑を開いた時、その特異な姿が目について、お兄ちゃんにその名を聞いたのだ。
『ボルゾイ』と。
ロシア貴族が愛玩していた、狼を狩る為の猟犬である、と。
ならば、ボルゾイたちを嗾ける狩猟服の人々は、ロシア貴族なのだろう。
獣たちが命を懸けて駆ける姿は、美しい。
狼の一匹が、ボルゾイの鋭い牙に掛かる。
後から後から、ボルゾイが飛び掛かり、銀世界は血に染まる。
また一匹、また一匹、狼たちは雪上に骸を曝していく。
貴族たちはさも愉快気に、その骸を見聞する。
瀕死でも息がある者は、猟銃の餌食となった。
残された狼たちは…立ち上がり、武器を取った。
そう、武器を取ったのだ。その姿は狼などではない。人だった。
―――アレは、人狼の群れだったんだ……
ならば、対する者達は只の獣でも、貴族でもない…
ダークネス、なんだ。
お前達だけでも逃げろと。
翡翠の目をした男性は言う。
同じ様に、翡翠の目をした女性が頷く。
翡翠の目をした少年は、嫌だと。戦士として、父と死ぬと言った。
父と呼ばれた男性は、優しい目でこう言った。
お前は生きて、母たちを守れ、と。
子を産み育てる、女を守れ、と。
我らが死のうと、後に続く者たちが居る限り、
我々の誇りはその魂の中で生き続けるのだから、と。
…だから、いきなさい。
しっかり捕まっていなさい、女性は言う。
私は、女性の背にしがみ付く。
翡翠の目をした小柄な狼が、殿を務めるように後に続く。
雪原を走って、走って、走って……
『いつまで寝てるんだい、樹里』
『…ほぇ…?』
ぱちりと目を開ける。
目の前にいる人は、空色の瞳。
声はややハスキーがかっているが、その胸は羨ましいくらいに大きい。
私がいるのは、白は白でも雪原ではなく、布団の上。
曇天どころか、窓からは温かい太陽の陽射しが差し込んでいる。
『…少し、魘されていた様だけど…夢見が悪かったのかい?』
『…メトレス……あ、そうか……夢……』
夢というには、妙にリアルだったけれど。
此処は、日本。私の家。
昨日は久しぶりにメトレスが家にやってきて、一緒に寝たんだった。
向こうのお仕事のお話を沢山聞かせて貰って、ぎゅっとして貰って眠ったんだった。
メトレスは私の顔を心配そうにじっと覗き込んで…やがて優しく頭を撫でてくれた。
『それじゃあ、早く寝間着から着替えて下に行こうか。
君の兄姉たちと母君がお待ちだろうし。
……アイツは怒らせると怖いから、なるべく早めにね?』
怒られたら怒られたで、私が主犯という事にするがね。メトレスは悪戯っぽく笑った。
メトレスにとってお母さんは妹分。
だけどその姉貴分が恐れる程にお母さんは確かに怒らせると怖い。
お腹がすくともっと怖い。
私はいそいそと着替え始めた。今日はずっと家でメトレスと一緒にいるから、帽子はお留守番。
お兄ちゃんも大学の講義が無いというから、きっと楽しい一日だ。
一日どうやって甘えてやろうかと思考を巡らせる。
……だけど……あの夢は、本当に、なんだったんだろう……?